不自由 — 美容師コンノ ③

サロンの内装は、窓をあえていっさい無くしたデザインになっていて、現実から隔絶された別世界のような空間を演出している。

唯一レセプションの脇のエントランスだけは、店内から外の景色が見える、光の差す場所だった。

コンノは、その受付に座って待機し、来店されたお客様の受付対応をする係になっていた。

「ここでのサロン勤めも13年になるか」

来客が無い合間、ドアから見える空をずっとぼんやり眺めていた。さまざまな感情が去来する。

雲が流れているのを見ていると、陰鬱な気分が少しは晴れる気がした。サロンからサロンへ流れていくのも、きっと悪くはない。

今いる場所は、コンノにはあまりに不自由だった。


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2004年4月。ヘアサロンでの面接当日、その場で幹部スタイリストから内定を勝ち取ったコンノは、大手サロンでのアシスタント業務をスタート。

新入社員は、基本的にそのまま会社の寮へ入ることになっていたが、コンノは地元・宮城で付き合い始めた彼女を東京へ呼んで同棲を始めており、自宅から通っていた。数年来の長い付き合いを通じて関係はかなり深まっていた。

そのサロンは、美容業界では若手への厳しい教育・指導でも知られており、いざ入社してみると徹底的なタテ社会。

先輩方より早く朝イチでサロンへ出勤するのは当たり前。お客様を迎え入れるための店内準備、それができたらカット技術等の基礎トレーニングを行なう。

日中はアシスタント業務を行ないながら、時間を見てお店の外へ出る。道行く人にお声掛けをして、興味を持ってくれたお客様をお店までお連れすることもあった。

お店へご案内したら、新人は施術に入れないので、先輩スタイリストにバトンタッチし、また路上に繰り出していく。

営業時間が終わってからは、夜の0:00まで路上でお声掛けに出る。その後お店に戻ったら、店内の掃除してひと通り終わるのが深夜2:00頃。そこから必要に応じてトレーニングを再開して、終わると3:00~4:00だった。

社員教育で手や足が飛んでくるのも日常茶飯事で、割とガチの威力なのでアザがたくさんできる。これは、もしかすると美容業界に限らずよく見られた風景かもしれない。

2004年前後の頃は私も居酒屋でバイトしていたが、この点に関しては同様だった。そういう時代だった、と語る人も多い。

コンノのサロンでは「休憩時間」という概念がほぼ存在せず、とりあえず「新人が取ることを許されるものではない」というリーダー陣からの不文律を、若手の全員が忖度していた。

喫煙に出るタイミングだけが、身体も気持ちも休まる唯一の休憩時間だった。2023年の今も、こういったヘアサロンはあるのだろうか。

長年のサッカー経験で、タテ社会には多少の免疫はあったし、体力もあった。憧れの大手サロンで働くチャンスを得て、モチベーションも高く、ちょっとやそっとではへこたれない前向きさも持ち合わせていた。

しかし、最も耐えがたかったのは、自宅に帰れないことだった。夜中までトレーニングを行なって、そのまま自宅に帰れずサロンで夜明けを迎える日も多かった。

目の前のことに集中していると、1年~2年という時間はあっという間に過ぎていく。東京でいっしょに過ごすはずだった彼女と、時間が合わないことも普通になっていた。実際のところ、1年に1回、外でご飯に行けるかどうかというレベルの惨状だった。

お互いに我慢を続けていたものの、とうとう最後には彼女の気持ちが持たなくなった。非常に苦しい選択だったが、お別れするしかなかった。


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それからは、多くの社員が寝泊まりする会社の寮に移った。

ぎゅうぎゅうの雑魚寝ではあったが、家賃も場所の割には破格で、毎月かかる固定費を切り詰めるのにはうってつけだった。

しかし、当然ながら帰ってからも寮には仕事仲間がいる。朝から晩までなかなか気が休まらず、彼女と別れた感傷に浸る間すらもなかった。

4年半の下積みを経た2009年、新店舗へ異動し晴れてスタイリストとなってなお、月の給料は一般的な大卒初任給の水準にもまるで届かない。そこから家賃やトレーニングの材料費、ほか諸経費を差し引いて、手元に残るのは雀の涙だった。

「入社から5年経っても、生活は変わらないのか」

東京・表参道のヘアサロンで美容師として生きるというのは、こういうことなのか?

先輩スタイリストはどんどん退社していく。このまま働き続けたらどうなるのだろうか。

不安は積みあがっていく一方だった。



大きなストレスが掛かっていることに気づきながら、対処の仕方が分からないまま空っぽの年月だけが過ぎていった。

ある日、クレジットカード明細を見ると、恐ろしい数字が目に飛び込んできた。

リボ払い返済予定額が300万を超えている。

病的な量の買い物が原因だった。

お酒やギャンブルと同じように、買い物をするとワクワク感で脳内にドーパミンが分泌される。それが満足感や精神的な快楽につながり、瞬間的にストレス発散をもたらす。

目の前の現実から、ずっと目を背けていたい。直視したくない。日々をただやり過ごしていたい。そういう感情に取り憑かれていた。

最終的には、ついにリボ払いでの自転車操業もできなくなり、気が付くと町金融からお金を借り始める。さすがにこれはまずい。悪循環も来るところまで来てしまった。

当時29歳。いよいよ闇金ウシジマくんのところへ、という一歩手前で、どうにか弁護士に債務整理に入ってもらうこととなった。

これによって、債務のうち利子部分をカットし、元金のみの返済に切り替えてもらえる。その代わり、債務整理代行手数料として弁護士へまとまった金額を支払う必要があった。こうやって、無いところからさらに剝がされていくのか。

学生時代、留学を夢見て、自由を求め美容業界に足を踏み入れたことなど、この現実の前には、とっくに忘却の彼方へ消え失せていた。



とある1日。その日も、売上目標をめざして馬車馬のように働いたのち、深夜の0:00頃にあがって寮までの自転車を漕いでいた。

スタイリストになってからは、0:00に仕事を切り上げることができていたのだ。

帰り道、代々木上原のあたりだっただろうか。コンノに、経験したこともないような強烈な睡魔が襲ってきた。

家までどうにか耐え抜こうとしたが、漕ぎながら何度も寝落ちしそうになって、自転車ごとガードレールに激突しそうになる。

大切な手を事故でダメにでもしたら?美容師もできなくなる。それこそゲームオーバーだ。最悪のシナリオが頭をよぎり、一瞬だけ我に返る。

そんなコンノの目の前に、光が立ち現れた。

何かが神々しい輝きを放っている。まぶしい。

松屋だ。

寮生活で唯一救われたことは、食事どきに白米が炊かれたことだった。

この白米に、ドンキの88円カレーや、マルハニチロの金のどんぶり(ご飯にかけるだけのやつ)、うまい棒を砕いたふりかけ、しょうゆマヨネーズなどをかけて食す。

こうすることで、一食当たりの食費を極限まで削ることができる。なんか中学時代のゲオ通いと、やってること大差ないような気がする。

そんなコンノにとって、松屋の一杯(当時300円ほど)は完全なぜいたく品である。

いや、今日は食べたい。今日だけはもう良いんじゃないか、食べて。

うん、食べよう。食べちゃおう。

吸い込まれるように入店。心は無になり、すべての神経を口のなかの牛丼に集中させて肉をほおばる。殺人的にうまい。ドーパミンでトべそう。

満腹になり店を出ると、かろうじて食欲で眠気をごまかし意識をとどめていた脳が睡眠欲にスイッチされ、ブレーカーが落ちたように限界に達した。

漕ぎ始めることもままならず、自転車を押しながら1本入った脇道で、ハンドルの重みに引っ張られるようにガシャンと倒れ込む。

どうせ誰もいないし、と道の真ん中で寝そべりそうになって、さすがに轢かれたくはないので路肩まで這いつくばっていく。



次の瞬間、パッと意識が戻ると、まだ路上だった。

空が明るみ始めている。寝入っていたらしい。

帰るか。と体を起こすと。

ん。なんだ。

財布が無造作に目の前に放り出されているのが見えた。

嫌な予感しかしない。

やっぱりか。

入ってた5,000円が抜き取られている。

コンノにとって5,000円は1か月分の食費に相当する。

こちとら10円単位の世界で切り詰めて生きてるのにやりやがった。

こっから1か月どう生きていけば良いんだ。分からない。

そしてこの感情をどこに向ければ良いかも分からない。

「とうぶん牛丼はお預けだな」

日が昇り始めていた早朝、テンションは-5,000%まで沈みきって、人のいない薄暗い細道、トボトボと自転車を押した。


+++


これだけの出来事が続いて、それでも不幸はまだ終わらなかった。

コンノのギリギリの精神状態に追い打ちをかけるように、ある日、実家から突然の連絡が入る。

当時まだ還暦を迎えたばかりのコンノの母が、脳梗塞で倒れたというのだ。

そんな。

さすがにショックで言葉を失った。

すべてを受け止め、「自由にやんなさい」と背中を押して上京させてくれた、お茶目で自由な母。

母にはそもそも英語の才があり、母の友人の輪のおかげで、幼少期から多少なりとも英語に触れる機会に恵まれていた。それが、もしかしたら自分の今のキャラクターや英語への愛着を作ったのかもしれない。

そんな大切な母が倒れた。それなのに。

30代前半にもなる男が、蓄えはびた一文も無く、何も母を支えてやれないどころか、自分が地元へ帰る移動費すら工面できない。

あまりにも、自分で自分が情けなかった。

誰のせいでもない。自分への怒りと悔しさだけが込み上げた。


+++


コンノは変わった。

「このままじゃ何も変わらない。ちゃんと考えないと。これからに向けて、どうしていくべきなのか」

人生を変えたいなら、自分で舵を取らねばと気付いた。そして少しずつ、これからへの準備を始めた。

そして、33歳になった頃。コンノが考えを改め、生活を変えようと決意したことが、まるで神様にでも伝わったかのようなタイミングで、一人の先輩から救いの手が差し伸べられた。

「コンノ、フリーランスになってウチで美容師やる?」

先に退社しフリーランスをしていた先輩が、自分の働く面貸しサロンに誘ってくれたのだった。過去にコンノと同じチームに属していたため、コンノの人間性やひたむきな働きぶりを理解していた。

実際に面貸しで働く美容師は増えていた。時代の流れには逆らっていない。わらにもすがる思いで一念発起し、大手サロンの退社を決意した。独立によるリスクも承知の上だった。



退職する旨を上司に伝えると、約半年をかけて自らの受け持っていたお客様を新たな担当者へ引き継いでいくことになった。

サロンにとどまる間はレセプション係を担当しながら、引き継ぎ業務以外は他のメンバーのサポートに入った。

来客が無い合間、エントランスのドアから見える空をずっとぼんやり眺めていた。さまざまな感情が去来する。

13年間の勤務。地を這うような思いで(文字どおり、代々木上原で地を這ったのだが)、身も心も注ぎ込んで努力し、技術を磨いてきた。

「会社経営はある種、洗脳のようなもの」と言う経営者もいる。思い返すと、半分洗脳を受けていたようなものだったかもしれない。生活や給与に変化を欲していながら、なぜか身動きが取れず、同じ毎日を繰り返していた。

かのアインシュタインも、「同じことを繰り返しながら違う結果を望むことを、狂気という」と言い残した。

まじめで優しく責任感のある人間ほど、「苦しくても、つらくても、ここが頑張りどころだ」と考えやすい。実際に行動を変えるべき時ほど変えられなくなったりする。

それは、キャリア形成についても言える。

いちど入った企業をおいそれと辞めるのは「怖い、申し訳ない、悔しい、恥ずかしい、みっともない」。人によっては、そうしたいろいろな感情にがんじがらめになったりもする。

しかし、現状に変化を生みたいなら。チャンスだと感じるなら。行動を起こすしかない。やっと、その心の整理がついた。

なおかつ、レセプションで何もしない・できない、永遠とも思えた長い待ち時間に、心の底から思い知った。

お客様を切らせてもらえること、施術させてもらえること、必要としてもらえることは、こんなにもありがたいことだったのか。



「最狂であることが最強」

入社前には怪物的な魅力さえ感じられた、誰の目にも特殊な大手サロン。それが掲げるこの強い語気をまとった標語に、さまざまに思いを馳せながら、コンノは退路を断った。

2016年。自由への、新たな一歩。

少しずつ、歯車が噛み合い始めてきていた。

「物語を紡ぐ」カテゴリーでは、マネージャーのJUNが「大人女性向け完全個室ヘアサロン」TUMUGUのことをつづります。自社開発エクステの経緯、それぞれのメンバーの生い立ち、各店舗の出店の裏側、HPBサイト活用など。気楽に読んでもらえたらうれしいです。

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