Maruは、あまりの自分の甘さに嫌気がさしていた。
「なぜこれまでの人生で、こういう事態に備えてこなかった?」
今さら後悔しても遅い。親と妹の苦難のときに、一緒に苦難することしかできない自分。お金だって稼げない。それどころか、もはや何か行動を起こすことさえ恐怖で足がすくむ。
甘かった。人生に対しての認識が、圧倒的に。
これが現実か。
警察から逃れながら食いつないでいたMaru一家だったが、金銭面は完全にジリ貧だった。
先が見えてきてしまった。このままでは、明るい未来は無い。何よりも、
「子どもにこれ以上、こんな生活を経験させ続けてはいけない」
Maruの父は、ついに決断をくだす。逃げるのは、両親2人だけで良い。
子ども2人だけでも、どうにか人に預けられないか。
まず、父は自分の姉を当たった。しかし姉の家だって、小さな子どもがいる。バブル崩壊の煽りを受けていたのは、何もMaru一家だけではない。日本経済の大暴落で、どの家も大変な状況なのだ。
「悪いけど、うちも厳しくて。妹さんだけ、かな」
Maruの妹は10歳。まだ食の細い小さな妹だけなら、どうにか面倒は見られるかもしれない。高校3年生のMaruは、受け入れてもらえなかった。
「もう、高校も卒業する年齢だろう。住み込みで働ける職場でも探して、1人で生きていくことだってできるはずだ」
あまりにも重くのしかかった言葉だった。
Maru自身、2024年現在、40代も半ばを迎えた今ならば、そのくらいのことは当然だと思える。
しかし、さらに公園生活で心も体もボロボロの状態でぶつけられたこの言葉は、野球と勉強しかしてこなかった当時のMaruにとって、死刑宣告にも等しかった。
「そうか。今までの17年間、俺はただただ親に生かしてもらっていただけだったんだ」
このときになってやっと、初めてそれを思い知った。「未来に何が起こるのか、予期して行動する」という発想など、まるで持ち合わせていなかった。
こんな自分にどうしろと。ただ呆気にとられ、途方に暮れた。
とはいえ、退路は無い。いずれにしても、前を向くしかないのだ。どうにかして生きる道を見つけるしかない。
常時の空腹とストレスで、鉛を呑み込んだように胃袋が重たく痛んだ。
そんな最中だった。その親戚の家に、Maruの高校の同級生から電話が掛かってくる。
「何ヶ月も学校にも部活にも顔出さないから、何かあったのかなって。心配で」
彼は、Maru一家の住んでいた家屋まで様子を見に行き事情を知った彼は、あらゆる手段を駆使してMaruの親戚の電話番号を調べ、やっとのことで連絡して来てくれたのだった。
クラスから行方をくらましていた高校3年生のMaruは、そうして友人の家に迎え入れられることとなり、そのまま高校卒業まで面倒を見てもらえる運びとなったのだった。
+++
家族と離れて友人宅で暮らし始めてからも、しばらくのあいだ、どうしても甘さは抜けなかった。
友人が保護してくれたことにはもちろん心から感謝をしていた。でも、家族がそばにいない上に、安否が確認できない。そんな状況で安心などとてもできなかった。
毎夜、両親や妹に不幸が起こる悪夢ばかりに襲われ、何ヶ月もの間ずっとうなされ続けていた。
1日1日をただやり過ごす毎日。しかし、ときには時間が解決してくれることもある。
年が明け、1995年。いよいよ高校卒業が近付いてきた頃、ようやく思考が前を向くようになってくる。
「手に職をつけて、自分で自分の身を立てられる人間にならなければ、話にならない」
Maruは、自分の脳みそを振りしぼって、できるかぎり具体的に、これからへのプランを練り始めた。
夜が来るたびに見る悪い夢を、とにかくふりほどきたかった。
1年後はどうしていたいか?3年後はどうだ?5年後ならどんなことが叶っている?
まずは自分自身のことだけでも良いはずだ。先を見る。未来を自分で創るんだ。
そうしているうちに、不安感が少しずつ着実に霧消していくのが実感できた。
「決めた、美容師だ。美容師になる」
友人の家での生活が始まって約半年。
Maruは無事、高校を卒業。
同時に、地元の美容室での仕事が決まったが、まずは2年間の年月をかけて、昼間~夕方の美容師業に加えて、夜間と早朝にバイトを2つ、死に物狂いで掛け持ちし、友人の一家に施してもらっていた分の全額を返済した。
奇しくもこの返済が終わる間近の頃、友人宅で過ごしていたMaruをついに両親が迎えに来て、ようやく家族4人全員が再会を果たすこととなったのだった。
学生時代の深夜練習、公園生活での自己否定、そして友人宅での悪夢との闘い。
否応なしに現実を突きつけられ続けた。自分の命と向き合い続けた。
このトラウマを経て、それまで知らず知らず自分に掛けていたリミッターが、いつの間にか外れていた。
あの生き地獄のような日々と比べてしまえば、バイトの掛け持ちどころか、たいていのことは痛くもかゆくもない。
叩かれ、また叩かれを重ねたことで、鋼のメンタルが出来あがっていた。
加えて、そのプロセスのなかで、自分でも気付かぬうちに、つねに未来を明確に描き出そうとするクセがついていた。
2024年、都内5店舗となったTUMUGUグループの運営においても、Maruは常に先の先まで見通して意思決定を行なうが、見込みが的中する精度の高さにはしばしば驚かされる。
元からそうした能力があったわけではない。真正面から現実の過酷さにぶち当たったため、いつも先を見て、未来を考え抜かなければ、生きられなかった。
ただ、生きられる。食べられる。お金を少しずつでも自分で稼いでいる。この事実だけで、美容師見習いとバイト2本のトリプルワークだろうが、身体からふつふつとエネルギーが湧いた。
両親や、助けてくれる人たちの存在に生かされていた自分。そのありがたみを、これ以上ない形で、肌身に染みて感じた。
だからこそ、精いっぱい人の力になれる、喜んでもらえる仕事をしたい。
それが、Maruが美容師を仕事に選んだ一番の理由だった。
+++
18歳の高校卒業から、地元・新潟で2年間を過ごしたのちの、1997年。
20歳という節目に、友人一家への返済を終え、満を持してMaruは決意を固めた。
「日本の美容の中心地、表参道で美容師がしたい。上京だ」
先を見る — 美容師 Maru ⑦
3月 11, 2024