「ドベからトップに。スポ根マンガみたいですよね」
2023年現在。
TUMUGU田園調布店は、待合0席、アシスタント0人、セット面1席。スタイリストもKiRiKoのみの、完全個室制ヘア&まつエクサロン。幹線道路に面した1階の路面店は、地域の方々に多くご来店いただいている。
ブログ記事に書かせてもらうため、サロンワークの合間に昔の話を聞かせてほしいとお願いした。もちろんすべて脚色ナシの、ノンフィクション。
スタイリスト陣の過去の話を聞ける機会は、これまで無かった。私も学生時代は運動部だったが、こんなマンガみたいな話はなかなか無い。
「主人公感がすごい。普通はそこまでやれませんよ」
事も無げに、遠慮がちに、KiRiKoはつづきを語ってくれた。
「いや、ちがうんです。私、普通なんですよ」
「えっ」
「普通だって分かってたから、変わりたかったんです。まぁ、なんというか、今でも普通なんですけど…」
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「高校を卒業したら、服飾デザイナーになる」
小学校時代から、独学で服の加工を楽しんでいたKiRiKo。好きが高じて情熱となり、以来ずっとのめり込んで目指してきた服飾の道は、じつは高校2年の文化祭であえなく途絶えていた。
「服のデザイン描いてもらえない?」
文化祭の出し物に関連して、友達から服のデザインを頼まれたときに、どういうわけか、ほぼ反射的に断ってしまった。自分の創作物が人に見られることになる。沸きあがってきた気持ちは「やってみたい」ではなかった。
「恥ずかしい」
あれほど好きだった服のデザイン。ずっと趣味だったし、楽しいから続けてきた。なのに、「自分がオモテに出る」「人から評価される」と頭にイメージが浮かんだとき、自信が持てなかった。
「これを仕事にするのは、無理だ」あまりにもすんなり、腑に落ちてしまった。そんなもんだったのかよ、自分。
勉強はもともと興味が持てない。小学生のときにピアノや習字を始めてみたのは、兄がやっていたから。ソフトテニス部に入ってみたのも、中学に上がったときに兄がやっていたから。
実は服飾に関してのこと以外で、「自分がやりたいからコレをやるんだ」と決断を下すことはあまりなかった。
気づけば、これといった取り柄がない。テニスに楽しく打ち込んでいても、そのモヤモヤはずっと付きまとっていた。
自分はなんて「普通」なんだ。
唯一、みずから関心を持って、成し遂げてやると決めて追いかけてきた服飾デザイナーの夢が、今や挫けてしまった。とたんに、暗雲が立ち込めてくる。
「これから何を目指せばいいんだろう」
盲目にソフトテニスに明け暮れていたが、高2の冬にもなれば、イヤでも進路の話が周りから聞こえてくる。気づいていたけど、そういうテンションには全然なれないし、もう考えたくない。
そんなある日の夕飯の食卓。ふと目をやったテレビの特集番組に釘付けになった。
事故や火事で負ったキズやヤケドなどの皮膚を修復して見せるための、一風変わった特殊メイク技術を取り上げていた。
特殊メイクと言えば、ゾンビや怪物のグロテスクに創作するものをイメージしていたが、なるほど、こうやって人の肌を「キレイにする」こともできるのか。
「これ…おもしろいっ!」
「人に喜んでもらうこと」は好きだった。「裏方で黙々作業」なら、性に合っている。幅広い特殊メイク技術の世界。舞台裏や映画の裏側に飛び込んで仕事がしてみたい。
PCも携帯もSNSも今ほど普及していなかった当時、高校の学科にあったドでかいパソコンで調べようとしたものの、インターネットにもなれないKiRiKoは、なかなかコレという情報はつかめない。
雲をつかむような思いで、なんとかかき集めた情報の断片から、ひとつの結論にたどりつく。
「特殊メイクをやるなら、やっぱり東京だ」
大学時代を東京で過ごした父が「やりたいならやってみろ」と背中を押してくれた一方で、東京を「異国の地」かのごとく恐れていた母親からは、猛反対を受けた。
話は最後までまとまらず、やむなく妥協案として、実家の鹿児島と同じ九州で、すぐに帰ってこれる土地であればということで、福岡の美容専門学校へ進むことになった。
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特殊メイクを学ぶつもりで入学したその専門学校では、美容師になるためのクラスが必修科目としてセットになっていた。そこでKiRiKoは、美容師が国家資格であることを知る。
「そうか、特殊メイクをやるならヘアもセットで身に付けておかないと」
「普通」な自分を変えたい。そのために必要なもの、やれるものは全部やっていく。
自分の作ってきた服みたいな、「一点モノ」の変わり者になりたい。ココで学んだら、そういう人間になれるかもしれない。そういう将来にきっとつながる。
こうして、メイクと並行してヘア施術について学び始めたのが、KiRiKoの自己変革と怒涛のような美容師人生の始まりだった。