「これからは身軽なフリーランス美容師が勝つよ」
2016年当時、Maruのフリーランスとしての独立前後にそんなふうに聞いた。きっとその通りなんだろうな、と思った。
「VUCA(ブーカ)の時代」という単語をメディアで見かけるようになったのは、2010年後半くらいだっただろうか。VUCA = 変わりやすく、不確実で、複雑で、正解があいまいになり、将来の予測が難しい時代。
多くの人々が「マリッジ・マイカー・マイホーム」とともに安定の将来設計を追い求めた昭和とは対照的に、現代は物事や環境が目まぐるしく移り変わっていく時代である、という論調だった。
「想定外」がいつでも起こりうるこの時代、不動産などの「動かない資産」は持たずにリスクを押さえて、身軽に柔軟に「動ける」態勢を保っておくのが賢明だ、ということらしい。
ライフスタイルは人それぞれであり、そうした議論が正しい・正しくないという話は、専門家の皆さんにお任せしたい。とはいえ、2023年現在もVUCA時代への移行が絶えず続いている、と聞いて反対する人はあまり多くないだろう。
だから、当初にMaruがフリーランスとしての働き方を選択したことには、十分に納得感があった。
そして、だからこそ、2016年のフリーランス推しから2019年の実店舗出店へ、180度の方向転換を図ったのは、私にはどうしても突拍子もない決断に見えた。
当然Maruは、めったやたらに大博打を狙った、というわけではなかった。
自身の大手サロンでの経験、フリーランスとして独立してから数年間の苦悩、エクステ開発の挫折、そしてKiRiKoとの再会。
TUMUGU田園調布 出店は、そのすべてが糸のようにつながって導き出された、ひとつの答えだった。
Maruには、出店するヘアサロンの「コンセプト」が一本の道筋となって見えていたのだ。
+++
Maruが独立する前の、2015年頃のこと。
大手サロンのトップスタイリストとなりNo.2を任されたMaruは、飛ぶ鳥を落とす勢いで美容道を突き進んでいた。長年に渡って多くの美容師の指導・教育に当たりながら、自らサロンに立ち続けた。
ある日ヘアボリュームの悩みを真剣に打ち明けてくれたお客様に、不誠実な対応をしてしまったこと。それが、Maruの胸に大きな禍根を残したこと。これは、以前の記事に書いた。
その反省から頭皮について学び始め、独立して、エクステ開発を始めたわけだが、この約5年の期間で、Maruのなかにぼんやりと漂っていた違和感は、霧が晴れるように少しずつはっきりと輪郭を帯びてきた。
「そうか。俺はもっと、お客様にちゃんと『寄り添う美容』がしたかったんだ」
お客様一人ひとりと正面から向き合って、お悩みをきちんと解消する。カウンセリングからカット、カラー、仕上げに至るまで、自分自身で行なうことで、提供できる価値がある。
周知のとおり、カットマン、カラーリスト、シャンプー・ブローなど、各工程の担当を分ける大手サロンは多い。そうすることで、より多くのお客様にご来店いただける。大手サロンの一流の施術を体感していただける。それもひとつの手段であることに間違いはない。
でも、フリーランスになってから深く・強く痛感した。「Maruひとりで全部やる」スタイルに、お付き合いの長い顧客様の多くが、非常に大きな安心・満足を感じてくださった。
【ワンオペ】で施術を行なうことが、独立してまもなく、Maruが美容の中心に据えるコンセプトの1つ目となった。
2つ目のコンセプトとして固まりつつあったのが、【大人女性のコンプレックス解消】だった。
Maruはエクステ開発を始める前後で、ひとつの事実を痛感していた。
「美容師は、今あるものを落とし・整えることしかできない」
毛量が多いのをカットして減らすことはできる。髪の黒色を抜いて、透明感のある色味へと整えてあげることはできる。いわば「有るものをきれいにする」プロセス。
一方で、「無いものを補う」ことはできるだろうか?ヘアボリュームが無いところに足すこと。黒髪だけでなく白髪にも、きれいな色を補って足してあげること。「不足しているものを加える」プロセスだ。
これはそのまま、前者が10代~20代のお悩みなのに対し、後者が30代以降の大人女性のお悩みになる、とも言える。
「大人女性のお悩みを解消するために、ボリュームアップエクステで髪の量をコントロールしながら、きれいな色を足して白髪さえも活かせたら、自分の美容の価値をさらに高めていける」
Maruが、そうしてオリジナリティを追求し始めていたところに、折よくKiRiKoが現れ、「エクステと白髪ぼかし」をメニューの中心に据えるアイデアが生まれた。
店舗の差別化においては、KiRiKoがアイラッシュを習得していたことも大きな後押しとなった。
実はコンセプトの3つ目は、KiRiKo出店が決まる12月の開店前まで、はっきりと固まってはいなかった。
いちどMaruが、出店が決まったまさにその部屋を借りて、Maru自身のお付き合いの長い顧客様をお試しで招待し、カットしたタイミングがあった。
24㎡弱、味のあるこげ茶色のフローリングの、コンパクトな空間。そこには、お客様を映す鏡とお客様の座席があるだけ。他のお客様はおろか、他の美容師もアシスタントも居ないし、余分な座席すら無い。
ただ目の前のお客様だけのための、周囲をいっさい気にする必要のない、ストレスフリーな空間。都会の喧騒を離れ、ゆったりと穏やかに流れるリラックスした時間。
Maruにとって、「ワンオペ」での「コンプレックス解消」を「個室で」行なった瞬間だった。
この日の施術を終えたとき、「すごくよかった」と言ってくれたお客様の言葉と表情。
それが、全身を貫くような大きな衝撃と確信をMaruに与えた。
自らの美容人生でイチバン、お客様が喜んでくれたのが分かった。
「やっぱり、腕を磨いてきた美容師なら、ちゃんと自分のお店を構えて美容を提供すべきなんだ。これが、自分の目指してきた『寄り添う美容』だ」
こうして、【個室サロン】であることがTUMUGUの3つ目のコンセプトとなった。
お店のコンセプト=押し出していく強みが固まったことで、店舗の規模や目指す方向性についても必然的に目途が立った。
ゆったりと過ごせる、満足度の高い個室空間を、KiRiKoのワンオペで運営する。店舗の規模は、あえてコンパクトなほうが良い。結果的に、コストを抑え、リスクも抑えて出店できる。アシスタントは不要だし、待合席すら無くて良い。
見つかった田園調布の物件は、24㎡弱。求めていたサイズ感だった。内装工事のコストを抑え、開業資金わずか300万円以内でのミニマム出店が実現した。
一般的に美容室の開業費用は、内装・外装工事だけで約500万円、備品等で約200万円、運転資金として約200万円、テナント費用に約150万円が平均して掛かるため、合計1,000万円~1,200万円になるという。これを考えると、田園調布店はそのわずか4分の1程度で出店が叶った計算だ。
こうして、田園調布駅前からは少し離れた、住宅地のど真ん中。ハイソで落ち着いた街並みに根差した、心がほっと落ち着くような、手作り感あふれるヘアサロンがオープンした。
実際のところ、それまでエクステ関連にすべてを注ぎ込んできたTUMUGUに、預金残高はほとんど残されていなかった。そのため、Maruの所有していた不動産の一部を売却して資金を調達し、出店費用を捻出した。
大手サロンで多店舗出店を経験していたことに加え、個人で投資用不動産を複数所有していたこと、そして何より不動産経営で蓄積してきたノウハウが、出店のコストダウンにおいても大きく活きたのだった。
Maruはつねづねこう話す。
「リスクを取らない、行動しない人が多過ぎるんだよ。リスクを考えると行動できないっていうけど、動かないほうがリスクだよね。うまくいく確率を少しでも高めるために、行動するわけだからね」
Maru自身、メンタル面では相応に苦しんできた。負荷は掛かるかもしれない。でも、次から次へと手を打って、リスクも取っていく必要がある。行動しない人がほとんどだから、差がついていく。
会社役員になってもサロンワークの現場に立ち続けたからこそ、お客様のお悩みにぶち当たった。エクステ開発に手と足を動かしてきたからこそ、頭がクリアになって考えがまとまった。投資を行なってきたからこそ、いよいよ手詰まりかいうときに切れるカードが残っていた。
行動するから、プラスが生まれる。
KiRiKo出店に確信を得たMaruは、そこでまだ終わらなかった。
なんとKiRiKoの12月末の出店直後の年明け1月に、同じ手法でコストを最小化し、Maru自身の店舗を出店することを決断。ウソでしょ、と周囲の全員が思った。
「後輩のKiRiKoが自分の店を持ったっていう事実が羨ましかったし、純粋に自分もやりたい・やらなきゃと思ってしまった」らしい。いくらなんでもリスクの取り方エグい。
そして、代官山周辺で物件を探し始めたわずか1週間後に、懇意にしていた不動産屋から連絡が入る。
「代官山から徒歩2分の物件が空きます」
いや、ラッキー過ぎて逆に怖いよ。しかし、KiRiKoに負けず劣らず、ココでGOの選択を取るのが台風の目、Maruなのであった。
あまりにもとんとん拍子に、KiRiKo出店のちょうど1か月後、1月24日のTUMUGU代官山オープンが決定する。
TUMUGU出店のテーマは “Enjoy The Age”。「これがヘアサロンの理想形だ」という想いで、年末年始に2店舗がほぼ同時にスタートを切った。
ここからまた、TUMUGUの新章が始まる。KiRiKoのクリスマス出店に加え、Maruまでもが年明け出店を決定し、華やかな年末ムードも手伝って、チーム全員が新年への期待・希望を抱くなかで、2019年が幕を閉じた。
+++
そして、MaruがTUMUGU代官山を出店する、その同月の2020年1月15日。
日本国内において、1人目のコロナウィルス感染者が確認された。
コンセプト — 美容師 Maru ⑤
10月 24, 2023