TUMUGU田園調布は、スタイリストはKiRiKoのみ、待合0席、アシスタント0人、セット面1席の、完全個室制ヘア&まつエクサロン。
2023年11月現在では、「白髪は気になるけどカラーは楽しみたい」「ヘアボリュームが気になる」といった大人女性のお悩み解消に特化したコンセプトが地域在住のお客様に受け入れられ、予約待ちのお客様が出てしまうほどの盛況になった。
そんな田園調布店は、探しても到底見つからないような好条件の物件だったにもかかわらず、2019年12月のオープンから何ヶ月もの間、客足がほとんど伸びなかった。
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KiRiKoの田園調布店は、長くお付き合いのある顧客様を抱えての出店ではなかったため、新規ご来店のお客様を集めていく必要があった。
オープンして年が明けた2020年。1月、2月、そして3月になっても、お客様のご来店がゼロという日は多く、試練の日々が続いた。
お客様が来なければ、やるべき仕事は限られる。
朝に店舗へ出勤し、店内の掃除をして、店頭のバス停まわりの歩道のゴミ拾いをして、インスタグラムを更新して、ブログを書く。それで1日が終わってしまう。
言うまでもなく、ただお店に座って待っていては何も変わらない。
「1日に何か1つは、集客につながる行動をしよう」
まずは来る日も来る日も、ビラを配り続けた。周囲の飲食店にも、頼み込んでショップカードを置いてもらったり、通りすがりの人々にもアピールしようと、1日1句のひとことメッセージを毎日店頭の立て看板に掲げたり。
少しでも他と違うことをして、見てくれた方にとって「なんだか気になるお店」「どこか特別感があるお店」にならなきゃ。そう考え、いろんな工夫を凝らした。
でも、残念なことに手応えはほとんど無かった。
厳しい日々になるだろうということは、出店する前から分かっていた。分かってはいたが、「お客様1日0名」の重圧は、KiRiKoでなくとも精神的にこたえるもの。
名刺やポスターに自分の姿をめいっぱいさらけ出し、店主として前面に出る。その責任も、それまでに経験したことのないプレッシャーだった。
出店の機会をもらい、自分の夢の1つが叶った恩義にも報いたかった。ただ家賃と経費だけがどんどん流れ出ていく現状。こんなことではいけない。
店内の照明器具は、こだわって選んだ。天井から壁づたいに自作のドライフラワーが少しずつ増え、インテリア小物も揃ってきて、オープン当初にイメージしていた理想の内装に近づきつつあった。
なかでもお気に入りの、蓄音機を模した小さなスピーカーは、ヴィンテージ調の風合いが可愛らしくて、お客様の座るセット面の鏡の左脇に置いてある。
その辺りをぼんやり眺めながら、誰もいない店内で独り、綺麗にホコリを拭きとってあるカットチェアに、ふぅと腰を下ろす。
「なかなかうまくいかないな」
でも、これまでもそうだった。部活だって、大手サロン時代だって、初めからうまくいったことなんて無かったはずだ。
やれることはあるはず、まずできることをやるんだと自分に言い聞かせながら、ひたすら前を向いた。
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しかし、この苦境に追い打ちをかけるように、2020年4月、緊急事態宣言が発令される。
宣言で、政府は国民に対して、生活の維持に必要な場合を除き、外出を自粛し屋内に留まるように要請。学校は休校となり、百貨店・映画館など大勢の人が集まる施設への使用制限なども通達された。
いつまで続くか、見当もつかない状況。それに加え、効果があまり見られなかったビラ配りさえも、自粛を余儀なくされてしまった。
いよいよ集客の手段はオンラインのみに絞られたが、インスタやブログから新規お客様のご来店があったかと言えば、こちらもほとんどゼロに等しかった。
内にくすぶり続けていた不安があふれ、KiRiKoは泣きながらMaruに電話した。
「宣言で、集客がいっそう難しくなってしまいました。これからのことが不安です」
「そうだよね。集客は、この状況では仕方ない。宣言もあるので、今はひとまず営業を自粛して、いったん田園調布店は閉めよう」
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私も当時、オンラインミーティングや電話でMaruとのやりとりを続けていたが、本当に大変なことだな、と感じるばかりだった。
緊急事態宣言が発令されるかなり前から、Maruは先を見据えて、ひとつひとつ着々と対策を取り始めていた。「万が一、コロナの問題が大きくなったら」と予見しての動きだった。
常に、周囲が動き出すより前に、先手先手を打っていく。それがTUMUGUを率いるMaruの強みでもあった。
また、以前の記事にも書いたが、とにかくMaruは資金管理には余念が無い。
ボリュームアップエクステ開発に大きな資金を投じたところで、自分の投資用不動産の売却で利益を出し、今度はそのお金をTUMUGU田園調布/代官山の出店にそのまま充てた。
年明けからコロナが少しずつ影を伸ばしていることも、視界の隅に捉えながら経過を追っていた。
「出店で使った金額は、新たに補填しておく必要があるな」
まずMaruは、長期で運用する予定でいた自分と家族の保険契約を解約することで、ある程度の現金を確保。
また、2019年からチームに入っていた、ボリュームアップエクステ拡販のコンサルタントとの契約を解消し、毎月の運転資金の最小化に努めた。
さらには、4月の宣言が出る頃に、政府からの救済措置として「持続化給付金制度」開始が発表されると、これをすぐさま活用。
給付金の申請自体をかなり早い段階で終えたことが幸いして、申請の受理も早く、実際に給付が入金されたタイミングも周囲より早かった。
これらのスピーディな危機管理で、抜け目なく資金調達を行ない、今後に向け現金をプールしておくことを怠らなかった。
その上、コロナが広がる最中でもMaru自身のお客様は代官山店へ来てくれていたため、TUMUGU代官山・田園調布を合わせた2店舗分の運営費用を、Maruのサロンワーク売上のみでカバーすることができた。
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一方で、飲食店や美容室を含む多くの店舗ビジネスが、緊急事態宣言によるロックダウン以降、少しずつ廃業に追い込まれていた。
エクステ事業の節目となった2019年末にTUMUGUチームを抜けていたコンノは、Maruのサロンでエクステ事業に関わるさなかも並行して働いていた渋谷の面貸しサロンで、引き続きフリーランス美容師として営業していた。
コンノ脱退からそれほど経たないうちに、Maruは代官山店のオープンを決めたため、コンノにもひとこと声を掛けていた。
「コンノのセット面も用意してあるからね」
Maruは、長く勤めた大手サロン時代からコンノのことを知っていたものの、当時の人員配置の関係で、直接かかわることはなかった。
それでも、エクステ事業のスタートがきっかけで連絡を取り始め、その開発プロセスを数年に渡って共にしてきた。実際にコンノは、本当に多くの作業を担ってくれていた。
それに加え、コンノのヘアカラーの知識と技術においても、Maruは長いあいだ一目置いていた。
「コンノなら、カラー技術をベースにして、いま以上に高付加価値の施術サービスが実現できるんじゃないかな」
コンノの勤める美容室は、TUMUGU代官山・田園調布の「大人女性」を中心に据えたコンセプトと対照的に、渋谷で10代~20代のお客様を集めていた。純粋に、コンノのお店の行く末を案じる老婆心もあった。
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そして緊急事態宣言からおよそ1か月経った、5月頃のこと。
今度はコンノからMaruへ、1本の連絡が入った。
「代官山に移らせてもらう話、もういちど相談できないでしょうか」
コンノが働いていた渋谷のヘアサロンが、緊急事態宣言の影響を強く受け、やむなく廃業してしまったのだった。元より心づもりができていたMaruは、コンノの申し出を承諾。
こうして、TUMUGUにコンノが復帰し、代官山店はMaruとコンノの2人体制で営業していくこととなった。
その後の5月25日、ようやく緊急事態宣言が解除される。ここからTUMUGUは、また新たな局面へと入っていく。