「いま思えば美容業界を完全にナメきってたよね。とんだ甘ちゃん野郎だったよ」
当時を思い返し、そう語るコンノ。私がTUMUGU代官山にヘアカットをお願いしに行くと、毎度いろいろな話を聞かせてくれる。
今では映画やサッカーにとどまらず、漫画やアニメに加えて、愛車でライブや釣り、キャンプに行ったりなど、美容の追究を続けながら、プライベートも幅広くアクティブに楽しんでいる。いや、逆にプライベートの充実ぶりが、かえって仕事にいっそう深みを生んでいるのだろうか。
前回記事の通り、コンノは地元・宮城の高校を卒業する18歳のときに、自由を求めて美容業界へ進む道を一歩踏み出した。
でも、コンノ自身が話す通り、片田舎の若造には、美容で食べていく道の険しさなど知る由もなかった。
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「美容をやるなら、東京だな」
2001年。高校3年生のコンノは、美容師になることを決意するとすぐさま東京の美容専門学校探しをスタートした。
調べ始めると、すぐに分かった。海外留学に比べれば、入学+上京+その後の一人暮らしまで含めて考えても、圧倒的にコストが下がってくる。これならなんとかなりそうだ。
とはいえ、キレイな部分だけ詰め込まれた何百ページもある分厚い学校図鑑だけ見ても、各校の良し悪しなどなかなか簡単につかめるものではない。
コンノはひとしきり悩んだ末、あまりにも安直に決断をくだした。
「この学校、名前に「日本」って付いてるからなんか良さそう」
やけくそ?
違う。これこそが大物のシンプル思考である。1周まわって逆にすごい。
その美容専門学校への受験申込を終えると、スムーズに受験日程が決定。まずは推薦入試に臨んだ。こんどは推薦してもらえたのね。
試験内容は、小論文と面接の2本立てだった。
試験の当日。小論文の筆記試験は、とりあえずわけがわからないので、書けるだけの内容でひとまず埋めていく。それよりも、そのあとの集団面接に気持ちを集中させる。こちらはわりかし得意分野だ。
つつがなく筆記試験が終わり、受験生たちは思い思いの表情で、面接会場の向かいにある控室へと移動する。
しばらくして、名前が呼ばれた。
心に決めていたのは、とにかく「最初に挙手すること」「リアクションをでかくすること」そして「いちばん元気にアピること」。
面接官の印象に残ろうとするなら、どの受験生にとってもイチバン基本になる部分だ。ただ、実際のところ、こういう基本を誰よりも徹底してくる人間が強かったりする。
キーパー然としたクマさん体型と生まれ持った声量に加えて、悪びれることなくアピールできるこのキャラクター。自然と、面接官の目に留まった。
ほどなくして、結果通知の封筒が届く。フタを開けてみれば、あっさりと合格。小論文の評点はどうだったんだろうか。
推薦入試で合格を勝ち取ったコンノを待っていたのは、どうやって費やせばいいか分からないほどの、膨大な時間だった。
専門学校に進む生徒は9月~10月には進路が決まってしまうが、そうした学生はかなりの少数派だった。美容師になる道を選んだのは、コンノを含めてわずか2名のみで、周囲の友人は公務員になるか大学進学をする人がほとんどだった。
高校3年の後半ともなれば、まさに多くの学生が受験勉強にいよいよ本腰を入れ始める時期。早々に進路が決まってしまったコンノは、だぶだぶに暇を持て余していた。放課後に遊べる人がいない。
「図書室行くわ」
いつもいっしょに遊んでいる仲間が、勉強に集中するために図書室にこもると言うので、おずおずとついていく。図書室なんて人生においてこれまで入ったこともないけど、まぁ暇だし行くか。
行ってみると、大手新聞社の英字新聞がひととおり取り揃えてある。
「そうだ。俺も英語を勉強すればいいのか!」
ココでまた、火がついた。
ニューヨーク・タイムズの新聞記事を、上から1文ずつ和訳していく。これを続ければ、英語ができるようになるかもしれない。
すでに英語が好きになっていたコンノにとって、英語を読むこと自体は苦ではなかった。映画よろしく、好きなことなら「努力」には入らない。いくらだって時間を費やして没頭できる。
しかし、大人のアメリカ人が情報収集に読むのが英字新聞である。辞書を調べながらなんとなく和訳はできても、コンノ18歳、記事の内容にまず1ミリも興味が持てない。
そのうえ難しい単語が多過ぎて、1時間に数行しか進まない。しかも、正確に和訳できているのか、自分では判断できない。
そこで、こんどは和訳した日本語の文を、英語の担当教諭に提出しフィードバックをもらい始めた。これが習慣となり、イツメンが受験勉強を終える3月まで、来る日も来る日も図書室に通った。
中学校時代からずっと変わらず低空飛行を維持してきた英語の点数が、あわよくば良くなるかもしれない。淡い希望を抱き、一意専心、じつに半年近くの期間、毎日のように英字新聞に向き合い続けた。
残念ながら、英語への一途な思いは実らず、高校生活を締めくくる3月の学年末テストでも結果は無惨なものだったが、不思議と気持ちに悔いはなかった。
点数うんぬんよりも、充実した日々をやりきって過ごせたことに大きな価値を感じていた。シンプルに、コンノにとっては英語も「自由で」「楽しい」生活の延長だったのかもしれない。
こんな日々が、これからも続いていけばいい。そんな祈りと期待を胸に、晴れ晴れしい気持ちでコンノは上京の4月を迎える。
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専門学校の入学式当日。午後の集合時間に備え、心を躍らせながら朝の身支度を整える。いよいよこの日が来た。
多くの学校が乱立し、おびただしい数の学生がひしめく街、高田馬場。東北出身の高卒生には、映画で何度も見たような都心の雑居ビル街の風景から、人混みであふれかえる駅構内まで、何もかもが新鮮だった。
前日から連絡をとっていた母親と合流し、行き交う人にぶつかりそうになりながら、専門学校へ到着。
不思議なことに、駅からの途上にはあんなに人がいたのに…この学校、思ったより人がいない。いや、全国各地から美容師志望の学生が集まる、そこそこの有名校なのだから、そんなはずはない。
何が起こっているのか。
そして次の瞬間。
衝撃の事実が目に飛び込んできた。
終わっている。
入学式が終わっている。
「えっ。午前中じゃん入学式」
少し歩いただけで汗ばむような、うららかな春らしい陽気。気持ちの良い風が吹く暖かな午後、桜の舞い散る東京で、コンノと母親は2人、校門前で立ち尽くす。違う種類の汗が吹き出して止まらなかった。
入学式を何の気もなくサボるという、幸先の良いスタート。もれなく「入学式に来なかったやべーやつ」のレッテルが貼られることとなった。
数日後の、登校初日。
広めの教室に整然と長机が並んでいて、やはり高校までとは雰囲気が違う。あと、生徒40人中、男子が8人しかいない。どぎまぎして思考停止したまま、とりあえず席に着く。
そして座ってからふと気が付く。この男子校上がりの田舎もんの左右に、髪色が抜群に明るく垢ぬけた女子が座っている。
「やばいやばいやばい」
女子への免疫がまるで無かったことと、入学式をサボったことへの後ろめたさが同時にこみ上げてきて吐きそう。
自分を奮い立たせ、かろうじて斜め前に座っていた男子に話しかける。やっと運が回ってきたか、この救世主と意気投合できたことで、どうにか教室内に自分の居場所を確保。
初日の帰り道で、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「安易な理由で上京してきちゃったけど、来たからにはちゃんと美容師になんないとな」
専門での学校生活も1学期が終わり、夏休みに入る頃には、居酒屋でのバイトが板に付いてきていた。板に付くどころか、どちらかというと、こちらが中心だったのだが。
毎晩のバイト後には夜通し飲んで、翌日の授業は午後から出席。遅刻できる日数の上限ギリギリを攻めつつ、単位もつねにギリギリ、自然と成績は下から数えてうん番目だった。美容師になる気あるんか。
また、地元・宮城に戻ったときにできた彼女と、遠距離恋愛が続いていた。代わりばんこに地元と東京を行き来していたため、稼いだバイト代の大半が移動費に溶けていった。
そうして、自転車操業の1年間はあっという間に過ぎた。
2年目になると、早くも卒業・就職が視野に入ってくる。そろそろ考え始めねばというときに、ちょうどバイト先の1コ上の先輩が、話を持ち掛けてきてくれた。
「俺いつもココで髪切ってんだけど、大手だしコンノのキャラに合いそうだよ」
表参道に旗艦店をもつ、業界では名の知れた大手サロンだった。
憧れはあったが、それこそ才能あふれるカリスマ専門生が入社していくような場所なんだろう。宮城から出てきた学年ドベの自分には無縁な会社だ。そう思っていた。
「でも、せっかく勧めてもらったしな。サロン見学がてら、ヘアカットの予約入れてみよう」
ド緊張しながらフリー予約で入店すると、担当の方がついた。
「よろしくお願いします、今日はどうしましょう?」
チョキチョキとハサミが動き始め、改めてじっくり周りを見渡す。
やはりこの店、並じゃない。
こだわり抜かれた内装、店全体にみなぎる活気、そしてスタイリストやアシスタント陣の手際のよい仕事ぶり。すべての基準が高い。
「なんなんだ、このヘアサロンは」
言葉にならない何かにわしづかみにされたような感覚に、コンノは意を決する。就職面接の場数を踏むのも大事だし、記念受験でもイイから、このサロンに入社を申し込んでみるべきだ。
この決断が、コンノの人生を大きく左右した。
そして、面接に臨んだ当日。だだっ広い面接室に案内され入室。
集団面接の形式で、横並びの5~6名の志願者と、同じく5~6名のコワモテのサロン幹部が向かい合う。ハイブランドで身を固めた、社内でも売り上げ上位のベテラン美容師陣。異様な重圧を発している。
「1人もカタギに見えないんですけど」
ふと1人の面接官に目が留まる。前に雑誌で見た人だ。
某ファッション雑誌のストリートスナップを眺めるのが好きで、高校時代からずっと目を通していた。その雑誌の最新号に載っていた、「モヒカン頭にドラゴンタトゥー」の美容師。
強烈な個性。それが他でもない、Maruだった。
大手サロンの社長と社内No.2のポジションにいたMaruが、面接官の並ぶ長いデスクの中央に座っていた。さらにその背後に、現役美容師陣が何十人も一列に整列し、こっちを眺めている。
あえて、プレッシャーにプレッシャーを覆いかぶせてくるスタイル。これに打ち克った学生だけが、入社の切符をつかめるというわけだ。
コンノは、屈しなかった。
試験が終わると、合格者にはその場で各幹部から内定通知を受け取り、それぞれの幹部の店舗への配属が通達された。
「君、ウチにおいでよ。合格ね」
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2004年4月。
その大手サロンは多くの系列店を抱えていたが、そのなかでも花形であった表参道店に、コンノはいた。
地元・宮城から上京し、高田馬場を経て、ついに日本の美容の中心地、表参道へ。ここから始まる新しい毎日への期待で、これまでに無いくらい気持ちは高ぶっていた。
「よし、やってやる」
しかしこれが、コンノにとっての大きな試練の始まりだった。
宮城から表参道へ — 美容師コンノ ②
11月 28, 2023