最初は信じられなかった。
2016年、渋谷のヘアサロンに移り、面貸しでのフリーランス美容師業をスタートすると、なんと大手サロン勤務時の2倍の給与が支払われるようになった。
もちろん、お金だけが目的で独立したわけではない。さまざまな出来事が重なった結果の、独立。先輩からのお声掛けが大きなきっかけだったわけで、ご縁のおかげ、純粋に運が良かったのかもしれない。
実際に、東京・表参道で指折りの売上を叩き出していた巨大ヘアサロングループで、あらゆる理不尽にも折れない忍耐と、多くの現場経験からくる確かな技術が身に付いた。
厳しくつらい日々であったことは事実だが、夜中まで働く毎日を通じて身も心もタフになり、結果としてコンノは一定数以上のお客様からご支持をいただいていた。
退社を決めてから実際に退社するまでの間にも、美容師としてお客様の美容の一助になれるありがたみを痛切に味わった。コンノのなかで、ひとりひとりのお客様に向き合う姿勢が大きく変化した時期でもあった。
もう一つ大きかったのは、独立後は0:00前に仕事が終わる日が増えて、自分のために使える時間を確保できるようになったことだった。
「自分のお金、自分の時間を、自分の好きに使っていいのか」
長いこと忘れていた。
そうか、「自由」ってこんな感じだったっけな。
息を吸うとき人間の身体は緊張し、吐くと弛緩する。呼吸のペースとリズムを変え、深くゆっくり行なうことでリラックスできるわけだが、当然吸ったままでも、吐いたままでも耐えられない。
思えば、ずっと緊張しっぱなしだった気がする。
その緊張が、美容師として・人間としての限界ラインを一気に引き上げるブースターとして働いていた部分もあるだろう。そうでなければ、乗り切れなかったのかもしれない。
今やっと普通に、人間として、呼吸して生きている感覚がある。
失っていた自由が、少しずつ取り戻されつつあった。
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2017年、フリーランスとなって約1年が経った頃。
ある程度十分なお金が作れてきたことで、コンノは自分自身の身体のメンテナンスにも少しずつ投資を始めていた。
そのうちのひとつが、増毛の内服薬だった。
念のため名の知れたクリニックでカウンセリングを受け、副作用等も問題なさそうだったので服用をスタート。数か月のあいだ継続していると、たしかにうぶ毛が増えてきて、イイ感じになってきている。
「へー、本当に効果が出るものなんだな」
目に見えて結果が出てきていた頃、ある日連絡が入った。
「ボリュームアップエクステって興味ある?」
大手サロン時代につながっていた、Maruからだった。コンノが増毛薬を試していることを人づてに聞いたそうだった。
Maruから独立のいきさつやボリュームアップエクステのアイデアに至るまでの流れを聞き、コンノは純粋に興味を持った。
「そういうものがあるのか!」
大手サロン時代、Maruとサロンワークの現場を共にすることはなかったが、入社面接以後も、長く幹部を務めており存在感があった。そんなMaruが独立し、エクステ開発を始めるというのか。
たしかに、時勢とはかみ合っているな、と思った。
中学校時代の授業だったか、いつか見たニュースか何かで、「高齢化社会」という言葉を聞いた覚えがある。一昔前からずっと、子どもが減っていく一方で、高齢人口が増え続けている。そのくらいのことは理解していた。
しかし、少し調べてみて、現代日本が迎えている現状に愕然とした。
「高齢化社会」というのは、1970年以降の日本において、65歳以上の人口が全体の7%を超えたことを差す言葉だった。もはや大昔の話だ。
さらに、その割合が全体の14%を超えると、「化」が取れて「高齢社会」となるのだが、日本は1995年の時点ですでに14.6%に到達している。なんてことだ。
話はそこで終わらない。その次の段階、21%を超えたとき、その状態は「超高齢社会」と呼ばれるらしい。じつに5人に1人が65歳以上ということになるが、日本は2010年に23%を超え、すでにこの超高齢社会に突入していた。
コンノがMaruから連絡を受けたタイミングでの高齢化率は、27.3%だった。以前Maruがお客様からご相談を受けたように、ボリュームアップエクステは、今後多くのお客様のお悩みを解消するひとつのツールになり得るかもしれない。
ちなみに、こちらのブログを書いているいま現在=2023年時点の高齢化率は29.0%。このペースでいくと、推定で2040年には34.8%(3人に1人)が65歳以上の人口になると言われている。
ちょうど2016年頃から、「白髪染めを高明度カラーでもっと楽しむ」というコンセプトが時流に乗り始め、「グレイファッションカラー」「ファーストグレイカラー」といった言葉が市場に出回っていた。
カットやカラー、パーマなど既存の技術でのお悩み解消に加えて、エクステの技術が習得できたとしたら。
もっと言えば、コンノがフリーランスを始めた渋谷の美容室は、土地柄もあって10代~20代のお客様が中心だったが、ボリュームアップエクステじゃないほうの「長さを伸ばすエクステ」や「インナーカラーを入れるエクステ」については、すでに長年のあいだ利用されており、広く市民権を得ている。
ボリュームアップの用途とは大きく異なるものの、人工毛を取り付けていくという観点では近い。
これらを考え合わせると、これから先、ボリュームアップエクステのほうも、より多くのお客様に受け入れてもらえる可能性はあるのかもしれない。
自分にどこまでできるかは分からない。実際にどんな技術なのか、なんとなくのイメージしかない。自分にとって、そしてお客様にとってプラスになるのかどうか、100%の確証はない。
でも、独立して少し時間が作れるようになった今、このタイミングで勉強しておくべきだ。コンノはそう感じた。
「一緒にやらせてもらえるなら、トライしてみたいです」
その日から、コンノはMaruとボリュームアップエクステについて学び始めることを決心し、自身の働く渋谷サロンとMaruの表参道サロンでのダブルワークをスタートすることとなった。
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まず、エクステ施術の講習を行なう座学のセミナーに参加し、基本的なことを理解した。
コンノとMaru、2人分の施術資格を獲得するのに、セミナー講習費用、施術器材等を含め総額100万円以上の費用が掛かった。
Maruは自らが責任を取る意味合いも兼ねて、全額を自己資金からローンを組んで支払った。ようやくお金を少しずつ蓄え始めていたコンノにとって、これは本当にありがたいことだった。
しかしその金額の大きさもさることながら、重要かつ苦労したのは、資格取得後のトレーニングだった。
トレーニングはMaruの勤める表参道の美容室で、基本的には日中のサロンワーク後にいっしょに行なうことにしたが、実際サロンワークはお客様のご希望次第で時間が延びることも少なくない。
さらに、2018年に入り、エクステの自社開発に着手することが決定。トレーニングに加えて、開発を進めていくための打ち合わせがほぼ毎日Maruの店舗で必要になった。
その結果、コンノは渋谷の美容室でのサロンワーク後、全力で宮益坂~青山学院前の坂道を汗だくになって毎日爆走。そうでなければ、間に合わない。
エクステ開発における品質向上や商標登録、動画編集に至るまでさまざまな業務に携わるなか、それに上乗せで、2019年にかけてTUMUGUブランドの立ち上げが始まり、爆走に拍車をかけていた。
Maruとの話し合いにとどまらず、外部のライターやエンジニアとのミーティングが一気に増え、ホームページ制作会社とのモデルさん撮影まで始まった。
サロンワークとのバランス調整がてんやわんやでどうにも収拾がつかず、もはやわけがわからなくなってきていた。漫画でよく見る、目がクルクルになっているアレだ。
いつの間にか、自宅に持ち帰って行なう作業が、深夜まで掛けて睡眠時間を削りに削っても追いつかない、膨大な量になっていた。
「自由になったと思ったら、また時間が無いな…」
ニーズは確かにある。TUMUGUに来てくれたお客様のなかには、涙を流して喜んでくれた方もいた。そんな姿を見て、ああ、やっぱりTUMUGUが頑張っていかなければいけない、と思った。
しかし、それにしてもご来店が増えてこない。インターネットで見つけてもらえないのだ。
理由がわかったうえで、工夫を凝らして各種SNSを活用するも、依然として効果は一向に現れてこなかった。
やるべきことはすべてやりきっていた。
どうすればいい?
いつまで坂道爆走、深夜作業の日々を繰り返せばいい?
制作チームの誰もが手詰まりと感じていながら、それをあえて口に出せずにいるかのような、重苦しい雰囲気が流れていた。
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そんな中で、2019年も半ばに差し掛かる頃。
Maruが、新たなアイデアに向けて動き出すと言い出した。
お客様への発信を続けてきたエクステ技術を、美容師さん向けへの発信に変えて、フランチャイズ化すると言うのだ。
BtoCからBtoBへの切り替え。大きな方向転換だった。
これが、コンノが信じて続けてきた思いと決定的に食い違った。
「お客様を救うはずだったのに」
ボリュームアップエクステでの集客を成功させたヘアサロンとして、市場の開拓者になる。
そんな希望をもって、渋谷でのサロンワーク調整に四苦八苦しながら、およそ2年間に渡って、全身全霊でエクステ開発を続けてきた。
なのに、そこで結果を出す前に、これほどあっさりと舵を切ってフランチャイズにしていく、というのはどうなのか。
今まで歩んできた果てしなく長い道のり。しかもそれは平坦ではなく、ずっと急勾配だった。後ろを振り返っても引き返す道は無く、先を見れば頂上は雲で隠れて見えない坂道。
この状況で、大きな山が目の前に立ち現れたような徒労感。信じがたい。ここからまた、別の山を登るというのか。
うまくいくのか、いかないのか、わからない。これまでも、そんな不安を抱えて暗中模索で走り続けてきた。嫌だ。もうこれ以上、登る気にはなれない。
気力も体力も、使い切ってしまった。限界だった。
「すいません。俺もうTUMUGUを抜けようと思います」